みなさんはどういうキッカケで吃音が始まりましたか?
おそらく、そのキッカケというのはとてつもなく苦しい出来事、辛い経験だったと思います。
今回は私の経験も踏まえて、吃音の始まりについてお話しをしようと思います。
自分が「気付いた時」吃音は始まる
私の経験からお話すると、「自分自身が吃音に気づいたとき、吃音が始まる」と思っています。
吃音の厄介なところは、吃音を意識すればするほど悪化してしまうところです。
この最大の特徴が、本当に厄介で難しい問題です。
ですので、自分がまだ吃音と分かっていない間はまだマシなのですが、
気付いて意識をしだしてしまうと悪化する一方だと思うんです。
私も「気付いてしまった」ので、こうして悩む毎日が始まりました・・・
「キッカケ」は返事ができなかったこと
小学校や中学生のときって、教室で先生に当てられて問題に答えるっていう風景をよく見ると思います。
思い出してみると、この先生に当てられてからの「はい!」っていう返事ができなかったんですよね・・・
どうしても、どうしてもできませんでした。
周りは、「どうして返事をしないんだ?」とか「先生にケンカ売ってる?」って思っていたかもしれません。
時間が数秒経ってからやっと返事はできたのですが、この出来事は自分にとってものすごく恥ずかしい経験となったのです。
国語の時間の音読のときに順番に読んでいくじゃないですか?
この経験をする前から、国語の音読で自分の順番が回ってきたときにやはり少し空白ができていたんですよね。
このころは単に、「ちょっと緊張しているだけだぜ」とストレスはあったものの、まだマシなものでした。
でも先に挙げた【返事ができなかったこと】が強烈なトラウマとなり、
それ以後、<先生に当てられたら返事ができない>という常人には到底理解しがたいような癖?が出始めてしまったんです。
それからの人生はどん底でした
このようなことがキッカケで、私も自分自身が吃音に気づいてしまったわけです。
今思い出すと、とてつもなく壮絶でした。
どうして言葉が出ないのか、どうして自分だけが。。。
普通にしゃべることができる人間が本当にうらやましいと思っていました。
今でもそう思う場面に度々遭遇します。
この吃音のせいで、青春という貴重なものが奪われてしまったように思うんです。
だって、友達とも普通にしゃべることができないですもん、、
仲良くなったとしても、「吃音のこと、本当の自分を知ったらどうせ離れていってしまう」と思うようになりましたし、
実際に周りは次第に離れていきました。それから、周囲とは壁を作るようになったんです。
まさにどん底の始まり、でした。
吃音の始まりは相当辛いものです
思い出しながら、本当につらかった・・・と自分でも思いました。
テンション下げめな内容になってしまいましたが、みなさんはどのような始まりだったでしょうか。
やはり、始まり、キッカケというものは本人にとっては相当な、衝撃的な経験として自分の中に残るものだと思います。
気付いてしまったら、もうどうしようもないですよね。
吃音の始まり、ということは これから長い長い戦いの日々が始まるということで、
長年、私も相当戦いましたよ! 戦いっぷりについて、また追ってご紹介?したいと思います。
よろしくです!
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