吃音を治すために~ことばの教室 編

吃音

みなさん、「ことばの教室」ってご存じですか?

調べてみると、言語に関して子どもの発達を支援するために設置されているもので

小学校や中学校に多いみたいです。実際に通われていた方もいるのではないでしょうか。

その中で私がこの「ことばの教室」で経験したことをお話ししたいと思います。

ことばの教室は初めて他人に打ち明けた場所

中学を卒業した高校生の時に、私はことばの教室に出向くことになります。

学校の職員室みたいな場所があって、私の場合は男性と女性の担当者2人が付きました。

一番最初には、自己紹介みたいなことをして、普段どういうことに悩んでいるのかなど話していったと思います。

初めて、家族以外の他人にこのうまくしゃべられない症状のことを打ち明ける機会となったんですね。

基本的には話を聞いてくれる場所

吃音についてこのことばの教室に来たわけですが、具体的に何をやるのかというと

私が通っていたところでは基本的に自分の近況を話すことがメインとなっていました。

「最近のバイトではこういう場面でうまく言葉が出なかった」

「今週は特に調子が悪い」、などを話して、それを聞いてくれるといった感じです。

あとは、IQテストをやった日もありました。(結果はいたって普通とのことでした)

方針の違いで通わなくなりました

ここで、私の吃音に対する考え方を話しておくと「吃音を治す」ということが前提であります。

これが当時持っていた、今でも持ち続けている考えです。

しかし、ことばの教室の方針は「吃音とはうまく付き合っていく」というものだったんですね。

うまく付き合うってなんだ?と思いましたが、要するに

【結局は吃音というものは治らないから治そうとするのは時間の無駄で、そのストレスとうまく付き合っていくしかない】

ということだったんです。これには相当に絶望しました。

だって治せるかもと思って行政に頼ったのに、結局は改善方法の指導も何もなく

ただのカウンセリングと何ら変わらないと感じていました。

私が思っている吃音の改善について話しても、

「世界にはもっと不幸な人たちがいる」「五体満足で生まれてきたんだからそれでいいじゃないか」など、当時の私ではよくわからない説明を受けました。

その担当者たちは吃音者ではありませんし、高校生ながら「こんなに悩んでいるのに、この人たちは他人事なんだ」と思うようになりました。

普通の人に吃音の苦しみは理解されない

吃音って、当事者じゃないとこの苦しみは絶対に理解できないと私は思います。

なぜなら、「うまく言葉が出ないというイメージ、想像が他の人にはできない」からです。

言いたいことがあっても、喉がつっかえたようなあの苦しい感じです。

そのため、吃音者でない人にその悩みを相談すること自体、もしかしたらナンセンスなのかもしれません

理解がそもそもできないからこそ、ネットや本によく書いてあるような「うまく付き合っていく」のような

無責任なことが簡単に言えるのだと思います。

当事者でない人たちからしたらまあしょうがないのかもしれませんが、当時の私にとっては絶望そのものだったんですね。

まとめ

上記のような理由で、いつからか通うことを辞めてしまいました。

ことばの教室を否定するものではありませんが、私にとっては結果として苦い経験となってしまいました

(それからも壮絶な人生が待ち受けているんですけどね、、、)

ただ今思うと、どこのことばの教室もそういう考えなのか疑問に思えてきましたし、

通われいる他の吃音の人たちが実際にどういうことをやっていたのかも気になってきました。

案外どこも同じような感じなんですかね。

よければ皆様のご経験をぜひとも教えてください!

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